日月神示とは
日月神示は、神典研究家で画家でもあった岡本天明が、自動書記によって「国常立尊」(国之常立神)という高級神霊からの神示を記述したとされる書物。1944年から1961年の間に一連の神示が降りたとされる。
脚光を浴びるきっかけ
なぜ日月神示が60年以上も経過した今、注目を浴びているのか?実は神示にあった以下の一文が、2020年のパンデミックを予言していたのではないか、と指摘されたことがきっかけです。
“いよいよ戦ぞ。フンドシしめよ。この世、始まって、無いことが、出て来るのぢゃ。世界の片端、浜辺からぞ。”
浜辺から。日本にとってコロナ禍の始まりとなった横浜港、ダイヤモンドプリンセス号を指していたと言われています。
島国である日本にとってコロナ拡大は常に浜辺(水際)からでした。
また、今回のコロナ騒動は、ウイルスの危険性が騒がれた一方で、様々な機関や団体の利権や利害関係が炙り出され、世界の秩序やパワーバランスが一変し、新しい形の戦争ではなかったかと言われています。
この文がコロナ禍を予言していたものであるならば、日月神示は現代を予言しており、これから数年のうちに起こることが含まれている可能性があります。
日月神示が予言する近未来
以上の神示をもとに次の神示について検討してみましょう。
”同じこと二度繰り返す子の年真中にして前後十年が正念場ぢゃ。”
ポイントは二度繰り返すという一文です。日月神示は同じことを二度繰り返すという神示が複数回出来てきます。
子の年とは鼠(ねずみ)年です。2020年は奇しくも鼠年。
コロナパンデミックを予言とするなら、この二度繰り返すという一文は、100年前に起きた世界的なパンデミック、スペイン風邪に起因していると考えられます。
世界は100年前から何も進歩していない。同じ過ちをまた繰り返すぞ。という警告なのでしょうか。
スペイン風邪流行からの世界
では世界は当時、スペイン風邪が流行した後どのような歴史を辿ったのか。
当時の歴史を時系列に見てみると、スペイン風邪が流行したのが1919年。その約10年後の1929年から世界恐慌、その10年後1939年に第二次世界大戦が勃発します。
スペイン風邪では世界の人口(当時18億人)の半数から3分の1が感染し、全世界で5000万人以上が死亡したとされています。
日本国内では、スペイン風邪が流行した5年後、1923年に日本の中枢である東京を中心とした関東大震災が発生します。
関東大震災の損失額は、当時の日本の名目GNP(150億円程度)の約3分の1に相当しました。現在のGDPに換算すると200兆円近い損失額になります。
ところで2020年の新型コロナの5年後といえば、たつき諒氏の予言、大災難が訪れるという2025年を迎えます。
2025年7月日本への予言との符合性
たつき諒氏が見たビジョンはフィリピン沖の海面がボコンっと破裂し各地に巨大な津波が押し寄せるというもの。この話題を皮切りに、日本では隕石や彗星、南海トラフ地震、噴火、ポールシフト、戦争など様々な予言が2025年7月に結び付いて広く拡散されています。
日月神示がいう2020年前後10年の正念場。その期間は2015年~2024年なのか2016年から2025年なのか。いずれにしても正念場はあと2年。まさに今現在進行中だという事になります。
世界恐慌は日本が経済大国からの転落が引き金?
100年前スペイン風邪から関東大震災、その後世界恐慌へと突入した世界と日本。世界恐慌が起きた遠因が関東大震災による日本経済の落ち込みだったともいわれています。
そして2024年、日本のGDP(国内総生産)が初めて世界4位に転落しました。このまま人口減が続くと、近い将来インドなどの新興国に抜かれていくという予測もたてられています。
引用元:読売新聞オンライン
”戦は一度おさまるようみえるが、その時が一番気をつけねばならんときぞ。”
100年前と同様、現在もパンデミックをきっかけに世界情勢は大きく変化しました。米国一強だった世界経済も、以前のような強さは見られなくなり、一方でロシア、中国を中心としたBRICSが目論む新通貨制度の台頭も懸念されており、混とん状態となりつつあります。
そこに日本経済の衰退が、円と米ドルの価値を下げ、世界経済の均衡が一変する大きなきっかけになるかもしれません。
この状況で日本全土に影響を及ぼす災害に直面した場合、世界恐慌が再び訪れる可能性も十分考えられるシナリオです。
世界経済、資本主義への警告と思わしき一文
日本では2024年から新NISA制度が始まりました。世界経済は米国発のGAFAMを中心としたグローバル企業に飲み込まれる状況で、日本人も円をドルに換えて米国株を買う時代です。米国に資金が流入することで、円安ドル高に拍車がかかる状態が続いています。現在の主流は成長率で見るならば日本株<米国株です。
僕も米国株投資をしているのでこの一文にはギクッとします。
”外国が強いとみれば、外国へつく人がたくさん現れるぞ。そんな人間は一人も要らぬ。 こんな人は、今度はみな灰にして無くしてしまうから、その覚悟でいれ。”
新しい形の戦争
そしてもう一つ2020年、日本にとって二度目の経験がありました。予定通りに開催できなかった東京五輪は2020年を以て2回目になります。
1度目は1940年。2度目が2020年です。このことからも、同じこと二度繰り返す子の年を2020年とする信ぴょう性はより高くなります。
その延期の原因は何だったのか。
なぜオリンピックを挙げたかというと、今回のコロナもそうですが、この十数年でI〇CやWH〇などの国際機関の利権関係が一般国民にまで露呈したことにあります。
I〇Cへの不信感がトリガーとなり、コロナでWH〇のウイルスとワクチン利権という裏の顔が炙り出され、様々な国際機関や団体の実態暴露へと波及している。これが今まさに行われているところです。
ここでこの一文。
“神の世とは金は要らぬ。草木も喜ぶ政治と伝えてあるとおりぢゃ。太陽も月も海も草も山も野も、何もかもが光り輝いて水晶のようになるぞ。悪はどこにも隠れることが出来んようになる。”
これまで個々が分断されていた時代は隠匿できていたカネと利権が支配する世界構造が、インターネットやSNSによってこの時代に暴かれようとしているのです。
光り輝く水晶とは、インターネットディスプレイなのかもしれません。
しかしながらこの暴く性質のあるインターネットによって、世界はより混沌へと突入していきます。
”神懸かりがたくさん現れ、わけのわからんことになってくるぞ。海の津波に気をつけるように。事前に知らしてあげます。”
神憑りがたくさんという意味は、2025年に複数の予言が乱立している今の状況がまさにその表れです。
加えて各国、各機関、組織の思惑、プロパガンダに加えて真偽不明な情報を国民一人一人が興味本位で拡散していくことで複雑化し、情報の見極めがより難しくなっていくと考えられます。
個人SNSによる相互監視社会、自粛警察、私人逮捕系ユーチューバーなど、国民同士が疑心暗鬼になるような社会システムの到来を予言していたのかもしれません。
捏造が難しかった映像コンテンツもAIを使ったディープフェイクによって疑わざるを得なくなり、人も物も、何も信じられなくなることを、わけが分からないことになってくる。と表現していると考えられます。
現代版ノアの大洪水
先の2つの一文をもとにもう一度冒頭のコロナ予言を見てみると、違う意味が見えてきます。
“いよいよ戦ぞ。フンドシしめよ。 この世、始まって、無いことが、出て来るのぢゃ。世界の片端、浜辺からぞ。”
この世始まって無いことは人類有史以来無いこと。
それは2010年以降爆発的に溢れた『情報』です。情報は流れるもの。洪水のようにいいことも悪いことも溢れかえる時代の到来。
このごちゃまぜ感は津波を連想させます。
”三分の一の人民になると早くから知らせてあったとの実地が始まっておる。何もかも三分の一になるのぢゃ。”
この情報の混乱に巻き込まれる人々、真偽を見分けられる人、国民は情報戦によって再び分断されます。まともに判断できるのが人民の三分の一ということでしょうか。
これはまさに現代版『ノアの大洪水』と言えるのではないでしょうか。ノアの洪水も助かる者、助からない者に選別されました。
浜辺から。というのは各国を繋ぐインターネットの大元、海底ケーブルの事を指しているのかもしれません。
海の津波に気を付けるように、とは海外から真偽不明の情報が洪水のように押し寄せる様を表しています。
これらが意味することは、通信技術による新しい形の戦争、プロパガンダやディープフェイクによる認知戦(サイバー戦争)です。認知戦とは、脳科学者の苫米地英人氏が作った造語で、現在のSNSによる情報を武器とした新しい戦い方です。
このように2020年代はディープフェイクによる泥沼の情報戦に知識のない人々が取り込まれていくと考えられます。
西側諸国とロシア、正義と悪という二元論を植え付けられた日本人。メディアを鵜呑みにせず僕たちが自分の頭で考えなくてはならないことなのです。
ロシア-ウクライナ、イスラエル-ガザ、そして懸念されている台湾有事・・・僕たちはすでに、この戦争に巻き込まれているのかもしれません。
この混沌時代の救世主日本人
情報の真贋を見抜き正しい判断を出来るのが日本人である。
”細かく説きたいところぢゃが、細かく説かなければ分からんようでは神国(日本)の民とは言えぬ。外国人には細かく説かねば分からんものぢゃが、神国の民には説かんでも分かる魂を授けておる。”
日本人には正しい判断が出来る唯一の民族であると日月神事は説いています。
日本人の能力
ニュージーランドの先住民のワイタハ族にも似た口伝が残っています。
ワイタハ族の末裔であるテポロハウ長老は日本人こそが全ての龍の長、金龍族であり、世界を引っ張るボスだといいます。従って金龍族である日本人が覚醒しないと世界が悪い方向へ向かってしまうと。
ワイタハ族 テポロハウ長老
引用元:癒しフェア
『日本人の脳は特殊で、全体、細部の両方の物事をバランスよく見ることができる機能に優れている。本質的な判断ができる民族。世界の秘密を解き明かすだけの能力がある。』
しかしながら、日本人はワイタハ族以上に伝承、歴史、アイデンティティや叡知を奪われ眠らされ、果たすべき役割を忘れていると言います。このように世界に不調和が訪れた時には、日本人が本来持っていた感覚や感性がとても重要になるということを説いています。
もともと日本人は、中庸を取ることがうまい民族だったと言います。中庸とは、どちらにも偏らないで常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。
中庸を取れるということは、複数の情報を取捨選択し、その中央値を抽出することができる能力です。これは飛鳥時代に活躍した聖徳太子を彷彿とさせます。
つまり、日本人は、世界の違った意見を総合的にまとめ上げ、調和へと道へ導くことができる民族であること。
言葉や文字は争いを生んだ物質文明の発明
この物質文明の争いの根源は、文字と言葉が生まれたことに起因すると言われています。文字は紙とインク、言葉は空気の伝播、つまり物質から生まれています。
”最近の日本人は人の気持ちを察する力、意を汲み取る力が薄れてきたようぢゃ。まして神様の御心がどういうものかなどということはわからんほどに魂が曇っておるぞ。”
一方で縄文時代を含む古代は、霊性が高く、物質よりも霊質、言語に頼らないテレパシー中心で意思疎通を行っていたと言われます。
霊人たちの言葉とは高度な霊界にいくほどシンプルになっていき一つの音に中に複数の意味を込めることが出来るそうです。縄文社会が1万年以上争いの無かったのは、言葉や文字に頼らない、テレパシー文化によって本心を隠すという概念が無かったからと言われます。
日本語の曖昧さ
昨今、SNSや政治家の失言が揚げ足を取られるように、言葉や文字は事実上撤回が出来ません。故に争いの火種となってきました。
縄文人は争いを避けるためにあえて言語を使わなかったと。
しかしながら文明を向上させるには記録やコミュニケーションにおける言語は必要不可欠な技術です。
それでも縄文人は言語を相当慎重に扱った。言葉を文字通り受け取るのではなく言葉の奥底にある見えないニュアンス、前後の文脈から現れる本当の意味を見出すよう心掛けたのです。
一時期、日本人の悪い習慣というように言われることが多かった空気を読む、という言葉も、見えない空間、間を読み取る直感力が、彼らの持っていたのテレパシーの名残なのかもしれません。
だから日本語には曖昧さ、婉曲する表現が色濃く残っているのです。例えば『大丈夫です。』『結構です。』は文脈によって肯定、否定どちらにも使われます。ちょっと言葉としては乱れているかもしれませんが、前後の文脈によってあらゆる感情を表現できる『ヤバイ』という言葉は日本語の真骨頂かもしれません。
ミロクの世
今、この世の中の見えない空気感になんとなく違和感を覚えている人は多いと思います。このなんとなくが、古代より消滅しつつある直観です。特に争いが無かった縄文社会を育んだ先祖の血を引いている日本人に色濃く残る力です。
日月神示が示唆するように2025年の正念場を抜けた先は、心の時代、つまり日月神示が示すミロクの世が到来すると言われています。しかし、ただ待っているだけでは、『あなたに』到来することはありません。
まず僕たち日本人が、日本の歴史に正面から向き合い、縄文から受け継ぐ血の中に残された見えないバトンを掴むことが、世界を変えるために必要なのかもしれません。
日月神示、超絶深堀記事はこちら▼
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