【神々の沈黙】二分心仮説とは-ジュリアンジェインズ【要約と考察】

世界の謎

 神々は本当に存在していたー

 古代、人々は内観する意識を持たず、神々の声に導かれ生きていた。

 意識を獲得する以前の人々は、何か行動や決断をする時に明確な理由を持っていなかった。

 そして行動は、まず神々の声を受け取り、その指示に従う形で開始されていた、という。

 まるで意志を持たない操り人形のように。

二分心とは

 『遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた』これを二分心仮説という。

 右脳で行なわれる非言語活動はすべて『頭の中で聞こえる声』というかたちをとって左脳の言語野に伝達されていた。

 つまり古代人は意思決定権を持たず、右脳が生み出した別の存在の声に従い社会を営み、秩序保っていたと考えられる。

 やがて意識の顕現とともに二分心は崩壊し神々は人間のもとから去っていくことになる。

はりねずみ
はりねずみ

 神々の声の正体とは何か、古代人が二分心だった根拠を検証し考察していきたいと思います。

人類の意識獲得

 

 人類は歴史上どのタイミングで意識を獲得したのか。

『神々の沈黙』の著者、ジュリアンジェインズによるとそのタイミングは今から約3000年前だという。

 すでに人類が数々の文明を築いてきた頃にあたる。

 逆説的には意識を持たない人々によってメソポタミアやエジプトのといった個性的な文明や文化が形成された。そんなことがあり得るのだろうか。

行動と意識

 本著では、意識は必ずしも行動に必要ではない事を、車の運転やスポーツを引き合い出して説明している。

 例えば、車の運転の一連の動作、刻々と変化する道路状況一つひとつに意識を向けていたらドライバーは確実に運転に不都合を起こす。

 テニスプレイヤーがサーブを打つとき、ボールへの力加減、投げる力、ラケットを振るをタイミングを意識すると、パフォーマンスが落ちる。

 このように無意識下で行われる行動は、過去の体験や学習に基づく反応である。人々が新たな壁(判断や決断)に立ち向かうとき、初めて無意識から意識(状態)へと変わる。この意識状態になった時に人は学習し経験として蓄積する。そしてその経験はまた無意識へとしまい込まれる。これが繰り返されている。と。

 つまり、意識がなくとも(してしなくても)日常生活は送ることができると、ジェインズはいう。

二分心の行動様式

 二分心は分かりやすく表現すると阿吽の呼吸です。文字という概念が無かった時代、右脳が優位だった彼らの頭には音(ことば)が鳴り響いていた

 このことばによって、集合的無意識下での生活が成立していた。

 現代では阿吽の呼吸といえば相手の気持ちを察する、という主体的なものを指しますが、当時は意識がないため相手の行動に対して反応する、受動的なものでした。

内観する意識を持たないとは

 二分心の人間は、自分は人間であるという自覚を持っていない。湧き上がる感情や行動欲求は全て外から来るものであり、そもそも自由意志はない。

 つまり彼ら自身の内観としては無知無能であり全知全能であった。故に限界を知らないのでピラミッドなどの無謀とも思える作業も実現できた。と云います。

顔の知れた少数グループでの共同生活

 ムラ社会がまだ小さい規模だった頃、各々の行動の傾向を皆が把握することが出来たため集合的無意識下で共同生活が成立していた。(阿吽の呼吸)

 暗黙の了解によって各々がバラバラに行動しているように見えて、実は共同生活においての役割分担を担っていた。という状況は日本人ならばなんとなく理解できると思います。

はりねずみ
はりねずみ

この感覚は現代の欧米人にとっては新鮮らしいのも、この二分心仮説の興味深いところです。 

人口増加による限界

 ムラ社会の拡大(人口増加)は次第に目が届かない人同士を増やす。こうなると阿吽の呼吸が成立しなくなる。二分心の彼らにイレギュラーなことに対する反応にストックがないからです。

 この問題を孕みつつムラ社会は人口増加を続けていく。ある一定の限度を超えたときに二分心は機能しなくなった。それが農耕牧畜です。

二分心と文明形成

 共同生活は農耕牧畜という人類における新石器革命を実現した。これによって古代人に協力という概念が生まれる。協力するには集団内での決め事や掟に従う必要がある。

 二分心は、一定の規模の共同体が集団生活を行っていくために、各々に響く神々の声という共通のルールを見出したことで文明形成に寄与する。

 神々の声は一人ひとり(または一つの共同体ごと)異なる性格を持っていたため、人口が増えるにつれて集団行動においてどの声に従うのかというヒエラルキー(優先順位)を決める必要があった。

 その為に人口が増えると、神の声に順位をつけるために神権政治が採用された。

 ムラ社会が拡大していくと集団の統制が困難になり農耕牧畜による社会が破綻する。これを解決するためにより強力な権威を作り出し、莫大な数の大衆の行動を同期させる仕組みが生まれる。

 これが中央集権国家制の起源だと考えられる。二分心との親和性が取れていた二分心時代の理想の社会体制であった。

 つまり二分心は、もともと個人の機能であった声に従うという仕組みを利用して『共同観念』を作り出し、それをもとに集合的無意識下で共同生活を営む古代人特有の能力から生まれたものである。

 

はりねずみ
はりねずみ

 これが正しければ当時の神権政治は、決して圧政的なものでは無かったのかも・・・

二分心の崩壊

 意識とは、何かを見たときに作り出す物語(予測や回想または説明)を構築するための比喩から生まれたものである。

 物語化は同時に、心の中に時間的空間(過去、未来)を生み出した。

 時間的空間は心の中に立体的な奥行を生み出す。過去と未来の対比によって、今ここにいる自己を確立させた。

 そして意識誕生のトリガーとなったのが文字の出現だという。

同様の〈二分心〉を共有しない文化間においてなされる交流

 次第に、人口の増加や、内なる観念が異なる部族間の交流が増えると、お互いの観念同士(神々)が対立しコミュニケーション不全に陥る。

 この混乱が紀元前1000年頃に地中海で起きた民族大移動であると推察される。

 そこで文字を利用し、神々の声は文書化されることになった。文書化とは、内観で知覚していた声を外に出すことだ。これにより、声を超える権威ができたという。

 文字は異なる行動指針(ムラ社会の掟など)を比較し共有し修正することを可能にした。

 文字を識別するようになった人々は、言語分野を司る左脳が発達するとともに右脳とブリッジ(結合)することで意識が誕生した。

 このように二分心は、文字(言語)の普及と成熟、文明の複雑化(人口の急増)による社会組織のテンポが速くなることで神の声による統制が取れなくなり、二分心で支えられる限度を迎えたことで、崩壊することになった。

二分心の崩壊は個人差があった

 シュメールやマヤのように突然文明の痕跡を無くし、また新たな文明が興るように二分心の文明は崩壊しやすいという。二分心の崩壊は文明ごとに時期が異なるので、意識を持つ集団、持たない集団で文明間で格差が生じていく。

 個人間のやり取りでもこのような格差ははあったはずだ。 二分心の人々は、やがて損得や感情で行動する意識人(つまり現代人)に淘汰されていく運命となる。

叙事詩イーリアス/古代ギリシア

 最古期の古代ギリシア詩作『イーリアス』は、紀元前1250年頃に勃発したトロイア戦争の様子を描いた叙事詩である。

 この書物は二分心時代の貴重な記録として、古代人の心の『神』と呼ばれる部分と『人間』と呼ばれる部分との関係をうかがい知ることができるという。

”イーリアスは意識を持った主人公たちの葛藤や思案や悩みや勇気を描いたものではない。”

神々の沈黙/ジュリアン・ジェインズ

 『イーリアス』には、精神的な事柄を表現する言葉がない。正確には現代では精神的なものを指す単語も、より具体的で客観的なものを指している。(例:psycheの意味は「血」「息」→後世では「魂」「意識ある心」)イーリアスでは後の時代に付け加えられた記述ほど、主観的な表現が増える傾向がある。

 つまり魂は概念ではなく物質的なものだと認識されていた。

 イーリアスの言葉は感情ではなく事実を淡々と述べる。神の言葉は無駄がなく必要なものがシンプルな形で提供される。この様式美が五七五のような句や詩、歌の定型文の基礎となった。

 吟遊詩人であり作者のホメロス本人も、この物語を『耳にして』、聴衆に朗誦した女神の『歌』だと表現している。

 つまり現代で嗜む芸術とは、本来、神々による声を再現しようとした名残なのだ。

死者との対話/古代エジプト

 古代、死者(神々)との対話が一般的文化であった時代があった。

その一例として古代エジプト時代の民の手紙が残っている。

 この手紙は、妻から亡き夫(神官)へ宛てられたものである。

画像はイメージです
神官の妻
神官の妻

 最近、家の召使が近隣の乱暴者に痛めつけられて困っています。あなたはどうしてそれを見て見ぬふりをするのですか。召使であれどこの家族の一員です。あなたがこの問題に真摯に向き合う事をしなければ、これからの私たちの家系の繁栄は望めないでしょう。

 死者への手紙は、まるで生きている人間に宛てられて書かれたかのような内容になっている。

 古代エジプトでは夜に死者の魂が戻ってくると信じられており、このような死者との対話が古代エジプトでは日常的だった。

 ただし、手紙(文字)を通して対話を試みようとしていることから、彼女の場合、すでに二分心の崩壊を起こしていたと考えられます。神官の妻という立場からも、身分が高く文字リテラシーを有していたために内なる声が聞こえなくなり、手紙という物質を媒介して死者との対話を行おうとしていた

 従って、彼女の場合、夫からの返答があったのかは疑問が残ります。

神の声とは何者だったのか

 神々の声の正体とは何だったのか。

 実際に脳研究において、右脳の機能を活性化させる実験を行ったところ、健常な被験者であっても霊的現象(幻聴や幻覚、気配)を体験するという結果が出ている。

 ジェインズは人間が集団で生活を営む遥か昔、山で単独(少数グループ)で狩猟採集を行いながら生活をしていた頃の記憶(常に死と隣り合わせだった頃)ではないだろうか、と推察している。

 彼らの子孫が同じような状況に陥った時、DNAに刻まれた本能的な直観(行動への想起)が、右脳優位の彼らには音として、つまり声として聞こえていたのではないか。これを二分心の人々は神々の指令として認識し受け取っていた。

音が声へ変換されたもの

 右脳が主体だった狩猟採集時代、原始的生活の中で発声した声を識別する能力が次第に養われていった。

 危険か安全か、禁止か促しか、否定か肯定か

リサ
リサ

 「あっ」と「あ゙ーっ」とか「おっ」とか「おう」とかによって聞き分けてたのかな

 音によって、物事を判断するための羅針盤が生まれた。

 その音はその子孫から子孫へと口承で引き継がれてゆく、これが文字がなかった時代の記録方法であり、口伝である。

 やがて口伝によって音に意味を付与するようになる二分心時代の人々の一般的な常識となったとき、記憶された訓戒的・教訓的な経験は、はっきりした言葉に変わり、本人に何をすべきか「告げた」のである。

まさに神々が下す指令

 聞き手(人間と呼ぶ部分)側はこの内なる声を制御することが出来ない。つまり声から逃れることも逆らうことも許されない。なぜならこの声を無視することは負の結果(失敗や死)に直結するからだ。

 これら声は、訓戒的(指示、命令系)な言葉に変換され、聞き手側はこの声に抗う事はできず、まさに創造主、神々から下された命令として認識された。

 故に声は自分の記憶の中にいる故人、親や指導者、王ら先祖らの上位の存在の声に変換されて受容されていた。

 この声を聞くきっかけとして指示を仰ぐ、想起するために偶像が機能したと考えられる。

古代の死生観

 古代エジプトのような大規模な埋葬は、明確な理由なく作られたのではない。

 彼らに故人の声が聞こえている以上、肉体は消失したが故人は存在していると認識されていた。つまり彼らにとって故人は死んでいない・・・・・・

 故に文明の中心には神殿が建てられ偶像を祀り、冥界で生きている』彼らのために衣食や豪勢な墓を要請したのである。

『二分心仮説』から考える古代エジプトとピラミッドの謎↓

統合失調症

 

 神々は中枢神経系の産物だという。 

神々の声は、精神疾患と呼ばれる病気に見られる幻聴によく似ている。統合失調症患者は、幻聴を自分への攻撃や批判として聞く傾向がある。

 これら幻聴は平常時(安静時)には見られず、一定のストレス下に置かれた時に生じやすい。同様に古代人が困難や選択を迫られた時に内なる声を受け取っていたとみられる『イーリアス』の内容からも読み取ることができる。

 健常者はこの本能的訓戒が聴こえるための条件(閾値)が高い。なぜなら理性的な左脳の働きによって抑制されているからである。

 現代では、統合失調症患者のように左脳の言語野(意識)と神の声が対立するため不都合が生じる。一方で、意識を持たなかった当時の人々はこの神々の声を、対立するものではなく自分を導くことばであると素直に受け入れていた。

はりねずみ
はりねずみ

統合失調症は現代の文明とずれているだけで症状は病気ではないのかも・・・ 

神の消失と宗教勃興

 二分心時代、神々は常に人々のそばに居た。

 異民族が入り乱れ共通した訓戒が乱れていき、現実と神々の声とが矛盾し、対立することでその機能を失っていった。

 頭の中の訓戒が消えた時、人々は混乱に陥ったという。

はりねずみ
はりねずみ

 今まで使っていたスマホがうんともすんとも言わなくなった状況を思い浮かべれば、分かりやすいかも。 

リサ
リサ

 バッテリーという概念を知らなければ、なんでー?ってなるね。

神の消失の暗示

 

 当時人々から神が消えたことを暗示する石彫がある。

 右絵はハムラビ王が、神マルドゥクの言葉を聞き取っているところ。紀元前1750年頃のもの。

 注目する点は、王と神が対等に描かれているところ。神の前に立ち一心にその声に耳を傾けている

神々の沈黙238Pより引用

神々の沈黙266Pより引用

 一方、紀元前1230年のアッシリア祭壇の彫刻。こちらは神の玉座が空席である。

 神々の声が消失したとされる時代は、王が神の前に跪き、啓示を『請う』かたちへ変化している。

 古代人は神々が人間と「面と向かって」話さなくなったと理解し、やがて神々への祈りや占いが文明社会の中心的な位置を占める行為となる。

 つまり宗教とは、声なき神に助けを求めるようになって初めて、成立したものなのだ。

現代文明の起源

 二分心の崩壊に対抗するために、文字を利用して共通の観念を作り出したというところがポイント。

 これが一神教へと繋がる。農耕牧畜、文字を使ったコミュニケーション、中央集権国家という中世~近代における西洋が席巻する現代の文明の型はこの二分心の崩壊が起源だと云えます。

日本にもあった二分心時代

 そうなると気になるのが、日本にも二分心だった時代があったのかという点。中東文明ではジェインズの仮説では3000年前を境に変わった。そのきっかけは集団生活と文字の誕生

 以下は個人的な見解です。

空白の4世紀

 巨大な前方後円墳が突然のように出現した3世紀後半~5世紀初頭は、具体的な記録が無いため空白の4世紀といわれています。

はりねずみ
はりねずみ

 エジプトのピラミッドと同様、日本の巨大な古墳もある時代に集中して作られているんですよね。

 古墳時代に入ると人口が急増します。また豪族による巨大権力者が統治する中央集権型の社会体制となります。

 よって二分心時代だったシュメール、古代エジプトにおいての神権政治と同様、この時期が日本の二分心時代ではないかと推察します。

 つまり弥生後半~古墳時代に向かうとともに二分心の人々が増え始めた。3世紀頃からの人口急増によって二分心は4世紀頃にピークに至り、同時に文字(漢字)が大陸から渡来し普及したことで二分心崩壊が発生したのでは。

 特に人口が多かった地域(近畿周辺)に古墳が多いのは、集団生活で発生した二分心の人々が、権威ある存在からことばを享受するため巨大な墳墓(前方後円墳)を作ったからではないだろうか。

 そして古墳は5世紀後半以降、突然作られなくなる。これもシュメールや古代エジプトと同様に、神々の声、二分心を経験した人々が淘汰され途絶えたからだと推察します。

 その後6世紀に仏教が伝わり、すでに神話と化した二分心時代の神の声を、宗教(仏教、偶像崇拝)というかたちをとって大仏や菩薩へ(神への祈り)へ求めた

リサ
リサ

 この辺はあくまでも想像ね。ロマンはある。

天皇が現人神だった時代

 日本の二分心の時代を推察する材料として、欠史八代を含む第十代天皇まで神事は無かったと言われる点です。

 それまでの天皇は神憑りがあり現人神であった故に神事は必要とされなかったと、東大名誉教授の矢作直樹氏は言います。

 次第に天皇から神通力が弱まっていくと同時に神事が始まった。

Naokiman 2nd Channelの動画より引用しています。
東大名誉教授が語る『この世の真理』とは?!

Naokiman 2nd Channelの動画より引用しています。
東大名誉教授が語る『この世の真理』とは?!

 それ以降は神頼みではなく人類が主体性を持って自立していかなければならなかった。というお話からもこの頃に神々の声の消失、いわゆる二分心状態の崩壊があったと考えられます。

 文芸評論家である亀井勝一郎も、自身の著作で古代日本において神が人から離れていく過程を、万葉集から読み取っている。

“天皇の神格の、崩壊を感じた時期が、古代人にあった・・・”

崇神期から以後、神人分離の最初の兆しがあらわれる・・・”

崇神朝に至って、この伝統が崩壊した・・・”

崇神朝にそう思わせる『何か』が起こったのだ。”

亀井勝一郎/日本人の精神史より抜粋

 亀井は、第十代崇神天皇~第十一代垂仁天皇を境に訪れた神代時代の終焉を繰り返し強調する

 日本国内で発見されている最古の文字は1世紀の漢委奴国王と記された金印で、それ以降、権力者を中心に広がっていったと考えられます。

 つまり、紀元3世紀半ばに存在していたとされる第十一代垂仁期には、まず文字を扱っていた権力者側の二分心の崩壊が始まっていった。と考えられます。

 その後、権力者と大衆に分かれる中央集権型の社会体制へと移行します。

 4世紀以降は大衆へも普及し、二分心の崩壊がすそ野を広げていき、二分心のなごりは神の代弁者である神女(ノロ)や巫女として現代にその姿をとどめているに過ぎない。

 文字の発達、農耕牧畜(稲作)、中央集権体制に呼応するかのように現れる神々からの離別・・・これらは中東文明で発生した神々の声の消失の時代の流れと非常に似ています。

人類が再び神々の声を聞くことはあり得るか

 意識を持った人間に生まれたのはエゴである。エゴは保身のために過度な精神的、物理的な侵略を行ってしまう。このエゴが現在の高度文明を生んだのは間違いないが、 同時に無用な争いをも生み出した。

 現代は産業革命によってデジタル化、AI化によって合理的かつ効率化を最上とする時代である。生産や物流に影響を及ぼしたのが産業革命であり資本主義である。

 その合理性は次に人間へと波及していく。人々は自分の意見を押し殺し、AIのアルゴリズムシステムに沿って行動を並べ替えられる。あらゆる行動は分類されていく。都市の効率化構造が人流を画一化させるように。

 やがて人々は一人1台のスマートフォンの進化系、chatGTPのようなアシスタントAIが付き、そのAIの声に従うように行動するようになるだろう。

 その人間の心は神々からの声に従っていた古代の二分心の人々と形は違えど同じではないだろうか。

神々の声は消えていない

 現代の大多数は神々の声は聞こえなくなった。が、神々の声が本能に刻まれた訓戒であるならば、聞こえなくなっただけで消えてはいない・・・・・・・。脳が統合されたことで、自分の声として認識され、記憶の底にしまい込まれているだけなのだ。

 毎日の生活の中で繰り返し行われる思考の中に、今でも神々の声はまぎれている

2025年7月予言シリーズ
古代の叡智に迫るシリーズ
宇宙の謎に迫るシリーズ

コメント

タイトルとURLをコピーしました