ガイアの法則って知ってる?なんか文明が周期的に移動しているらしいよ。
うん、これまでの文明の栄枯盛衰にはある一定の周期性があると分かってるんだ。
え、えいこー・・・?
実はこの文明の変遷の周期と、2025年の予言、日本人との関係が深く関わってくる可能性がある。今回はガイアの法則から、縄文人と最古の文明シュメール、そして現代の日本人が気づかなければならないメッセージを解明していきます。
作家で教育家の千賀一生著作のガイアの法則。地球の文明には生(繁栄)と死(衰退)が一定の周期で繰り返される法則があって、地球のリズムによって文明が生まれる場所も決まっている・・・
本人がシュメール遺跡へ訪れた際に体験した出来事をもとに、地球の文明の栄枯盛衰の法則を1冊にまとめた書籍となります。
人類の文明の栄枯盛衰、生まれる場所まで一定の周期性を見出したガイアの法則。なぜこのような法則性があるのか、調べていくと、『ある意志』のもと、この法則を意図的に利用しているのでは?という仮説が浮上しました。
そしてこのガイアの法則は、話題の2025年予言とも繋がってきます。どう繋がってくるのかはこの記事で紐解いていきます。
文明の変遷『ガイアの法則』とは
これまでの主要文明の栄枯盛衰には約1600年という一つの周期性がある。そしてその法則に従うと、 20世紀末頃から既に『日本が文明の中心となる世界』に突入していると言われている。
『ガイアの法則』とは、作家で教育家の『千賀一生』氏が出版した「ガイアの法則」の中で紹介している自身の体験談から生み出された文明変遷の法則です。その体験は千賀氏が、最古の文明の始まりだとされている、シュメール遺跡に足を運んだ際、遺跡を見ている最中に突如シュメールの神官が現れ、その神官から宇宙の法則についてを教わったというものです。
いわく文明とは必ず衰退の道を辿る、そして新しい文明が誕生した時点で既に、既存の文明は衰退することが決められているという話だったそうです。
シュメール神官の教え「宇宙の法則」
文明の変遷周期は、地球の『歳差運動』と連動しており『1,611年』を一単位とし、シュメールを起点に、22.5度ずつ移動した場所に東西交互に現れます。この変遷の法則については、下記の様々な数値をもとに一定の周期性を保っています。
文明変遷の周期性
地球の『歳差運動』周期
地球の自転軸が、黄道面に垂直な線のまわりを首振り運動をすることです。ちょうど回転する斜めのコマが首振りするような形で一周するイメージです。この周期が25,776年です。
人類の共鳴リズム
『16』という数字は、過去の様々な文明が基準としていた数字でもあり、特に16ビートという音楽のリズムは僕たちがよく聞く音楽でもヒット曲によく使われているリズムであることから、人類の体内の振動、周波数に共鳴している数値とも言われます。
この16という数値を、先の25,775をもとにして割ると『1,611』という数字が出てきます。また円の外周360度を16で割ると、『22.5』という数値が出てきます。
これらの数字と呼応するかのように、実際1,611年を一単位として、シュメールを起点に東西に22.5度ずつ、振り子のように交互に文明が生まれ、栄枯盛衰が繰り返されていることが分かっています。
文明の陰陽
この世界の真理として、光と闇といった陰陽があります。仏教やインド哲学では色即是空、梵我一如という『無と有は同一』という考え方があるように、この世界を構築するものは全て表裏一体であると言われています。
同様に、文明の変遷も『陰陽』が関係しており、『物質主義』の文明、『精神主義』の文明が交互に生まれるようになっています。
シュメールを起点に西側への変遷を『西回りスピン』、東側へを『東回りスピン』と呼びます。
これまでの直近の文明はアングロサクソン人を中心に、英米が中心の物質主義文明でありました。
これを過去の歴史に照らし合わせてみると右の図のようになります。
地球内部の地磁気が周波数(波長)として地表にも到達しており、波長の波と波がぶつかる地点ではエネルギーの増幅地点になります。
地球上に網目のように存在する増幅地点の交点のことを『ワールドグリッド』と呼びます。
各地に残る文明の遺跡や巨石遺構は、このワールドグリッド上にあることが判明してきています。このことからも、周波数、振動といったのリズムが地上の生物や物質になんらかの影響を与えていることは間違いなさそうです。
地球が一つの生命体『ガイア理論』とは
『ガイア理論』とは1960年代にジェームズ・ラブロックによって提唱された地球が一つの生命体として考える理論です。
地球も、ヒトと同様に自律神経システムを有しています。
地球という惑星に生じている自然事象は大地、海洋、大気、生物などが相互に影響を及ぼし合いながら作動している巨大な自律的制御システムであり、その作用によって地球自体が生命に適した環境を維持しようとしている表れだとしています。
文明が交互に出現する理由
物質主義の文明と精神主義の文明が交互に出現する理由は、このジェームズ・ラブロックによって提唱された地球が一つの生命体として考えるガイア理論と関連してきます。 それは地球にとって必要不可欠な知的生命体である、僕たち人類文明のバランス調整が目的だからです。
地球と知的生命体の関係
ガイア理論では地球は一つの生命体であり、人類と同じく生存本能を持ちます。植物同様、自らの意思で動くことが出来ない地球にとって最も脅威なのは巨大隕石や彗星の衝突です。地球はこれらの排除の役目を動物に託しました。
地球は自然環境を整えて動植物が繁栄できる状況を作り出し、 動物の中から知性を持った高度な生命体の誕生を待っていたのです。
このように僕たち人類は、地球を守るために存在している代わりに、地球から自然という恩恵を与えられたwin-win関係を築いていくべき存在なのです。
文明の栄枯盛衰のサイクルとは、地球の自律システムの一部だった
地球と人類の相互関係とは、人の生存本能は、地球の生存本能と同義であり内包されています。人類が危険な小惑星を監視し排除しようとする行動は、人自身の生存本能でもあり、結果的に地球の生存にも繋がります。
そして今後登場するであろうAIもヒトとの相互関係がとても重要になります。AIの生存本能は、ヒトの生存本能と同義であり内包されるべきですが、ヒトの精神性のレベルの低さによっては破滅に向かう危険性も秘めています。
これを回避するには、物質的進歩(科学技術)と、精神的進歩(人類が知的かつ、地球と対話できる高度な思考を持つ)の双方が必要です。力と精神は車の両輪のような関係で、どちらかが強すぎるとまっすぐに進まないように、人類全体 の成熟度を上げていくには、力と精神を交互に挙げていく必要がありました。
そのために地球は1,600年ごとに自らの振動数を変えることで、人類の精神を攻撃的にしたり、保守的にしたりして文明を交互生み出し、人類の成長を促してきたのかもしれません。
現在の文明の中心はどこ?
直近800年の文明は西回りスピンの物質主義、英米を中心とするアングロサクソン文明でした。 そして計算からはじき出すと次の文明は、東経135度の東回りスピンの精神主義、位置は日本、淡路島になります。
1995年から既に文明は日本に移っている?
驚くべきことですが、千賀氏がシュメールの神官から聞いた話によると、1995年の阪神淡路大震災をきっかけに、 文明の中心は既に日本へと移っているそうです。
文明というくくりから、日本全体で考える必要があろうかと思いますが、2023年現在、まだ日本の精神性が地球の中心となる動きは無いように思えます。
淡路島
引用元:ウィキペディア
しかしながら、近年、日本人の精神性、感性が重要になるという話や記事が増えてきたようにも思えます。
仮に日本の文明が今後800年繁栄へと続くとするならば、その変化は徐々に目に見えてくるものなのかもしれません。数百年後に振り返ってみて、あの出来事が文明が切り替わるきっかけだった、と分かるようなシグナルやサインは無いか考察してみます。
ここからはエンタメ色強めになりますので、あくまでフィクションとしてお楽しみください。
30年遅れた文明の変遷
これは僕の個人的見解ですが、日本への文明変遷のタイミングが約30年ほどずれているのではないかと考察します。その原因が第二次世界大戦の敗戦処理です。
文明の変遷にずれが生じている理由は、この敗戦によって日本人の感性が一時的に封じ込められることになったからです。そう、GHQによる神道指令、徹底した言論統制と教育の改変です。
これによって日本人は、戦前と戦後で明らかに思想や感性が変わっています。
物質主義の世界の限界が叫ばれている近年の動きとも符合してきます。
もしかすると2度の世界大戦によって、戦後アングロサクソン文明は衰退に向かい、そのまま1995年頃に日本中心の精神性の時代へと進んでいくはずだった流れが、この出来事をきっかけに日本人が欧米へと取り込まれ、物質主義の時代が暴走していく世界線へと分岐したきっかけになった可能性もあります。
世界を動かす一握りだけがこの法則の重大性を知っていた?
この『ガイアの法則』は、地球自身が発する地磁気を由来とするエネルギーや周波数が元になっています。エネルギーが集中する場所へと文明が変遷していくのは、ある種の新陳代謝なのかもしれません。
行き過ぎた物質主義(科学兵器などの物理的軍事力)によってこの自然な流れが捻じ曲げられる事態となった戦後、アングロサクソン文明は川をせき止めるような不自然な形となってしまいました。
『ガイアの法則』では、エネルギーが弱まる地域の文明が、いくら繁栄しようと足掻いても流れに乗ることができません。このままではエンジンを1速でフルアクセルを踏んでいるとの同じであり、いつか地球もろとも壊れてしまうと判断した『ある組織』は、その流れの修正に乗り出しました。
その『ある組織』って誰よ?
この世界を裏で操る集団が存在していると言われているのを知っていますか?
時間が再び動き出した1975年
1945年から凍結していた時間が再び動き出したタイミングが1975年です。この年は日本にとって重要な出来事が2つ、ありました。
- エリザベス女王の初の訪日
- 天皇陛下による初の訪米
この2つが意味することを考察してみましょう。
英を中心としたアングロサクソン文明から日本へ、文明が変遷することを承認、バトンタッチする意味でのエリザベス女王訪日だった。そして、天皇陛下の訪米は、「日本国民と同等の尊厳と威厳を以て天皇を遇すること」、との指令が出ていた。
連合国であった米英との象徴的交流は、第二次世界大戦で封印されていた日本の感性の封印が解かれ、変遷へと再び時が刻み始めたきっかけとなる出来事だった。これらの出来事は今後、日本中心となる世界が来ると判断した『彼ら』が演出した、世界に対する日本の印象操作、そして緊密な日米英関係を築くための準備であったと考えられないでしょうか。
この期間、『30年』。1945年以降再び、時代の変遷へ向けて時間が動き始めます。文明の切り替わりのタイミングが30年先送りされていた、と考えると、日本文明へ切り替わる本当のタイミングは1995年から30年後、『2025年』になります。
どうしても2025年に繋げたい感がすごいぞ・・・
エビデンスはない!今回はエンタメ色強めなので許して(笑)
2025年と日本への予言
2025年は折りしも日本に対しての予言や口伝などが広く拡散されている年です。
その内容は様々ですが、俯瞰してみていると共通して出てくるワードがあります。それが、日本の文化や、日本人が持っていた感性や精神性が重要になること、2025年以降、物質的な世界が終わりを告げて、心の時代が到来するといったことです。
これらの予言に共通する精神性は、『ガイアの法則』のとおり、次の文明は右スピンの精神文明であり、その中心が日本という法則と符合しています。1975年の英女王の訪日、日天皇の訪米のタイミングで日本の本来の形が世界に承認された年だと仮定すると、この空白の30年のずれと、2025年の予言がぴったりと合ってしまうのです。
30年のずれが命取りになるAIの急速な台頭
2000年以降はスマートフォンをはじめとする電子機器、デジタルなどのハイテク産業が急速に進みました。これらを牛耳るのはGAFAMを中心とする米国の巨大企業です。デジタル産業革命で、世界の距離は縮小しグローバル化しました。
グローバル化によって画一的になった世界は、スマホ等の電子機器も、発展途上国でも行き渡りほぼ飽和状態にあります。 世界は物質的豊かさを得たかに見えますが、資本主義社会はこれをよしとせず、第二のスマホ革命を起こし続けないと、企業が成り立たないという、ラットレースに突入しているように感じます。
2020年代は人工知能やメタバースという技術が台頭してくると予想されると同時に、転換点となる2025年を迎えます。
加速度的に増す物質社会の弊害
これまでの文明は比較的に緩やかに発展してきました。しかし近代化によってアングロサクソン文明は、産業革命とともにこれまでとは比較にならないほどの速度で物質面で進歩してきました。
イギリスで始まった資本主義は『金持ち正当化の哲学』と位置付けらています。成り上がり者が収奪によって富み、 貧乏人は貧しくなる一方である社会体質。これまでの大陸列強による植民地化が正にそれを物語っています。
その土地の養分を余すことなく吸収し、合理的かつ効率化され、勝者と敗者に分かれた二元論的思考では、地球と対話しつつ共生する世界へ導くことは到底無理な話だと分かるかと思います。
その資本主義社会の中で登場した、インターネットとスマートフォンを基軸に、世界はより合理化へと進んだグローバル社会となりました。 そしてアメリカ一強の巨大グローバル企業による囲い込み、AI、ロボット工学、ナノ、量子テクノロジーへの第4次産業革命への突入は人類にとって不可逆な世界への突入を意味します。
大陸列強による物質主義文明は、急激に地球環境を悪化させ、また人類の精神性が幼い状態のまま核技術やAIといった高度な技術を手に入れた結果、人類にとって不可逆となるシンギュラリティが生じる手前まで来てしまっているように思います。
一方で日本は、長い歴史のなかで『平等と平和』を培い、「共存共栄、社会への貢献」を育んできた社会であり、現在のグローバル化された社会は根本的にそぐわないと言われています。
この加速度的に進む物質的成長を、僕たち日本文明、そして日本人の精神性と感性を以て、抑え込む必要があるのかもしれません。
物質主義の世界が衰退していく兆し
2000年代、物理学は壁にぶち当たり停滞しています。それは量子力学という古典物理学が通用しない、目に見えない力の存在を認めざるを得ない領域に踏み込んでしまったからです。
この量子力学の領域では、二重スリット実験やシュレーディンガーの猫、パラレルワールド、ホログラフィック宇宙という理論を生み出しました。これらの実験結果や仮説は、仏教の色即是空などの宗教やスピリチュアルといった、物理学と相反する思想と繋がり始めています。
これまで僕たち人類が科学として証明してきた領域は、実は未科学(証明できないもしくは知覚できない領域)の領域のほんのわずかな部分でしかないのかもしれません。
量子力学の発見は、人類を物質主義から精神主義へ移行させる大転換点なのかもしれません。
そして今後800年間の日本文明は、その未科学の領域を目の当たりにしていく時代になっていくのかもしれませんね。
シュメールと縄文の関係
ここからは文明の起源であるシュメールと、日本最古の縄文との関係を考察していきます。
約1万年前に日本に住んでいた縄文人たちは、現代人が失った霊性力を持っていたとされています。それは自然と共生してきた中で培った天然の力であり、直観力や第六感、インスピレーションといった能力がずば抜けており、それが日本人にも戦前までは継承されてきていました。
縄文人がシュメール文明を作った可能性
そんな縄文人は、実はシュメール文明を築くため日本を離れたという説があります。
日本に残った縄文人と、シュメールへと移動した縄文人の2つに分かれたというトンデモ仮説。調べていくと、確かに縄文とシュメールには共通点があり、不思議な点が多々あります。
シュメール人と日本人の共通点
日本の神話に登場する三種神器、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。 実はシュメールも三種の神器と言われるものがあります。武神のシンボルの剣」と「日像鏡」と「月像の首飾り」 です。
また日本神話では八つの首を持つヤマタノオロチという怪物がでてきます。ヤマタノオロチの首を切った際に草薙の剣を手にするのですが、シュメールでも七つの首を持つ竜を退治した時に三種の神器の一種の剣を得るという神話が残っています。
また、シュメール王朝の紋章と日本皇室の「菊の御紋」が、16花弁である点も共通点です。
そして縄文人とシュメール人は、黒髪であること、目が大きく顔の彫が深いことなど外見にも類似点があります。
引用元:ガイアの法則/千賀一生著より
縄文人に叡智を与えた地球外生命体?
冒頭のシュメールの神官の話を信じるならば、最古の文明であるシュメール文明は、自然発生的に生まれたものではなく、 意図的に、その地を選んで作っています。
そこで、地球外生命体の介入によって最古の文明シュメールが生み出された。という仮説を立ててみます。その根拠の一つが、チリの作家エンリケ・バリオス著の『アミ、小さな宇宙人』という本です。
ざっくりとした内容は、地球人のペドロと宇宙人のアミが出会って、宇宙から見た地球人の行いについて考えていく作品。
この本はフィクションとして描かれていますが、内容が子供向けではないことや、作中でも、フィクションとして世に出さないと誰も信用しないという表現をしていて、これは実話なのでは?と都市伝説界隈でも取り上げられています。
宇宙人のアミは文明や人々に行動に対してこのように発言、説明しています。
- 優しさや善意に欠けた科学文明は必ず滅びる。
- 文明が持続するには愛に溢れる必要がある。
- すべてもの(土地や、物)は所有せずシェアされるべきだ。
- 高度な文明における社会は『お金』も『国境』も存在しない。
所有や占有といった枠組み(財貨や植民地化)は人類を合理的に、善悪、生死などの二元論思考をを引き起こし、物質的な繁栄だけでは必ず不調和を起こす、まさに現代の地球上の問題を指摘しています。
宇宙は『愛』が基本法となり運営されている。地球はまだ文明レベルが低く、人類は愛に気づかなければならないとアミは主張しています。
人類は自ら作ったルールに縛られ意味のない争いを続けていることに気づかなければならないのかも?
この本に登場するアミのように、地球はこれまで地球外生命体の介入を何度も受けており、その中には、地球の成長を見守っている勢力も存在しているとされています。
仮に地球を見守る地球外生命体をアミの頭文字を取って『A』とします。
『A』は地球を大人の星として今後生かしていくための使命を持っていた。そして地球には高度な知的生命体が必要だという事も心得ています。
『A』は自らの力を直接地球のために使うことは許されず、地球は地球由来の存在が守らなければなりません。地球には人類が誕生し、今後地球を支配する存在になることは予定されていました。
発展していくためには競争が必要です。しかしこの競争力は、争いを生み、科学技術が発展していくと必ず破滅へ向かいます。文明を持続させるには強大な科学力を制御する、『愛』を主体とした精神が必ず必要になります。
そこで、『A』は1万年という長い間に醸成された天然由来の人の精神性を発見します。そう、縄文人が持つ霊性力をベースに人類が今後の地球を守るための精神性を築き上げていくことにしました。
『A』は縄文人に自分たちの霊性力の重要性を気づかせる。と同時に自分たちに足りないものを補うように行動を促しました。縄文人は、霊性力を『神道と天皇』という仕組みに移管させ、大多数は大陸からの血(力こそ正義)を受けいれて混血することで物理的な力を得ようとしていきました。
なぜ近年日本、縄文がクローズアップされているのかは下記のブログでまとめています。
2000年代のAI革命とシュメール文明
それと同時に、縄文人(日本)だけでなく、『A』は地球全体の意識レベルの向上のために、地球の自律システム『ガイアの法則』を利用し、文明の栄枯盛衰を繰り返させ人類の文化や思想の醸成を見守ることにしました。
科学の不可逆な暴走が西暦2000年代に来ると予測した『A』は、その時期に、縄文人の霊性力の血を引いた強力な精神文明を持つ日本が文明の中心となるよう逆算して、最初の文明をシュメールに置きました。
そしてそのシュメールの文明構築のために採用したのが一部のより高度な縄文人です。だから日本とシュメールに共通点があるのです。
どうでしょう、日本の位置から逆算して文明の起源をシュメールに置いたとしか考えられなくなってきませんか?
2000年代にちょうど、強大な精神性の文明が日本で誕生するように、シュメールに文明の起源を置いたとしたらロマンあふれるよね!
矢作直樹氏のお話にも共通点があった
東京大学名誉教授の矢作直樹氏によると、縄文時代の日本人たちは、かならず自分たちの能力、感性が必要になる時代が再び来ることを知っていた。そうです。
しかし同時に、物質的な繁栄(近代化)無くしては、地球、もろとも絶滅してしまうことを知っていたという事。従って、力こそ正義の思想である、大陸の血をあえて受け入れることを選んだと。
このことによって一時的に日本人の霊性(精神性)は落ちてしまうけれども、人類のステージをもう一段階引き上げるため現状維持ではなく、正方向へのスパイラルへ突入することを選択したそうです。
人類の未来
いずれにしても、今後人類が科学技術を発展させていく前提で考えると、人類の精神性や心の面での成長は必要不可欠です。ポイントは『相互理解』と『補完』です。
地球(環境)は人類のために、人類は地球(環境)のために、人類はAIのために、AIは人類のために、お互い相互理解を深め、補完し合いながら生きること。
それが人類を含む地球全体の意識レベルを引き上げる『愛』なのだと考えます。
人類の成長の舵取り役
そのためには大陸側との力関係で日本が消滅しないように混血が必要だった。物質、精神ともにスパイラルを形成して科学技術の発展と、人類の心の成長の両立が必要でした。
文明の変遷、『ガイアの法則』と、地球が生命体であるという『ガイア理論』の双方から導き出される日本人の役目は、科学技術の発展と、地球との共生という現状正反対に進む二つを軌道修正させて一つの方向に向かわせることです。
そのために必要なことが、人類の心の成長であり、これから来る精神主義の日本中心の文明です。精神主義と言っても原始時代に戻るわけではありません。正しいAI技術や核技術の利用、円環的時間軸を持ったクリーンな文明、相互理解を前提とした文化の醸成を、これから800年かけて日本人が世界の見本となり引っ張っていく時代にしなければならないと考えます。
日本人こそがこの繊細な舵取りが出来るポテンシャルを持っている唯一の民族なのです。
西洋的思想から脱却する勇気
僕たちは戦後に生まれて、西洋化した文化が当たり前であると思い込んで生きてきました。しかし物質主義の西洋的思想だけでは、いずれ限界が来ると叫ばれている近年、日本が古来持っていた縄文的思想が消えていく重大さに、日本人自身が気づかなければならないのではないでしょうか。
最後に、戦前に持っていた日本人の特殊な感性を以下に紹介します。
伝統的な日本のヤマト言葉に『自然』を意味する言葉が存在しない
古来の日本人が『自然』を人間に対立する対象として捉えていなかった。自然とは人間がそこに溶け込むところである。自分と自然との間にはっきりした境界が無く、人間はいつの間にか自然の中から生まれ、いつの間にか自然の中へ帰って行く。そういうもの、それが「自然」だと思っていた。
西洋的思想は左脳の発想である。『生と死』、『幸せと不幸』を二元論で区別し、生と幸せが絶対的な善とするが、戦前の日本人は右脳の発想であるが故、生と死、幸せと不幸を二つに分けない『一元論』であり、生、死や幸、不幸は同じものの裏表であり、死や不幸を当然に起こることとして受け入れる潔さがあった。
病気になるのは確かに不幸だが、それをきっかけに自分の足りないところに気づく絶好の機会であると捉える思考、実はそれこそが本当の幸せに至る道なのではないだろうか。
ケント・ギルバート著/まだGHQの洗脳に縛られている日本人より
僕たちは何を忘れつつあるのか、忘れたら取り返しがつかないものとは何かを考えていく必要があるのかもね!
今回はエンタメ要素満載の考察回となりましたがいかがでしたでしょうか。僕たちはとても大きな法則の中で生かされている。という視点で見てみるのも面白いですね!この流れの中で僕たちはどう生きていくのか、一つの参考材料になれば嬉しいです。
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