理性は、人類から神々を駆逐した。
ことの始まりは人間社会の混濁によって開く。その扉のかんぬきの正体が、
松果体だった。
我々人類から神々を奪ったのは、人の頭の中にある松果体だったのだ。
古代ギリシア哲学は人を思考する動物へと昇華させ人類に科学と繁栄をもたらし、やがて文明社会の成熟を迎えた。
しかし真実は、逆だった。我々は理性を獲得したのではない、ある意図のもと理性を吹き込まれたのだ。
果たしてその意図とは。

なんだか難しそう・・・

ジュリアンジェインズの神々の沈黙、二分心仮説を深堀した記事になっていますので、本を読んで頂くとより興味深い記事になるかと思いまーす。
松果体とは
松果体とは、二つの大脳半球の間に位置する内分泌器官。光を感知する働きを持つ。
ちょうど額中央の奥に位置しているため、いわゆる『第三の目』と表現される。
人の松果体は時代と共に小さくなっていき現在は米粒ほどの大きさでほぼ機能していない。
いっぽうで古代人は親指第一関節ほどの大きさだったと言われている。

松果体は、どうやら人類に知識を与え、同時に神々を駆逐した器官である。どういう意味かはこの記事で明らかなります。
第三の目/サードアイ
眉間ぎりぎりに指をかざすとむず痒くなる感覚がありませんか?
眉間の気配を察知する感覚は松果体の働きの名残だとも云われる。
古代から認知されていた<第三の目>
太古から松果体が重用されていた。
古代インドのシヴァやパールヴァティ、仏教の大仏の額にある『白毫』という装飾は第三の目と呼ばれ松果体を象徴している。


爬虫類には第三の目があると確認されており、光の強弱を感知して体内リズムを調整していると考えられている。
魚や鳥の群れに見られる一糸乱れぬ集団形成術。松果体を使って他生物の存在をキャッチしている。
彼らは一個体よりも複数体で一つという感覚を持っており、集合的無意識が機能していることが伺える。

松果体と右脳
松果体は、集合的無意識や潜在意識を司る右脳と関連深くなんらかの結びつきがあるのではないかと考えられます。
2020年ノーベル物理学賞受賞、イギリスの数理物理学者・数学者・科学哲学者であるロジャー・ペンローズは、意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。
「脳で生まれる意識は、宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力、空間、時間にとらわれない性質をもつため、通常は脳に納まっているが、体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て、拡散する。 体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識は宇宙にあり続ける。 意識とは、肉体にくっついている時は個であり、肉体から離れると霧散して宇宙の広がりに溶け込むような性質を持つ。
この溶け込むような性質は、右脳の集合的無意識や潜在意識と関連深い働きです。
松果体が目覚めると、テレパシー能力、直感力、宇宙情報のインスピレーション、透視能力などの他者と繋がる働きが顕現すると云われる所以である。
ルドルフシュタイナー松果体論
このような霊視、霊障、オーラやチャクラなどの見えない力こそ、この世界の本質であると提唱したルドルフシュタイナー。
彼は人間の神秘性を体系化し『霊学』として一つの学問としてまとめ上げることに生涯を捧げた。

シュタイナーは松果体についてこのように説明しています。
『松果体は目が作るイメージに現実性を与える。』
目も松果体もどちらも「見る」器官だが、「実体」を見ているのは松果体のほうだと解釈できると述べる。つまり、目を通して知覚しているこの物質世界は、本質部分を知覚する過程の副産物的な現象に過ぎないという事です。

『アトランティス時代では、知覚の中心が、現在の松果体で行われており、これが発展すると人類は霊視力を取り戻す。』
現在の人類は、松果体が減衰したことで、物質面(副産物)を本質だと勘違いしている。
実体を構成する本質部分が見えなくなっている、唯物論への傾倒を警告しました。

超古代における言語
松果体は光を感知できる働きを持っており、光とは情報です。
つまり遠隔での情報のやり取り、テレパシーでの対話が可能だったという仮説が立つ。


シュメール以前の超古代文明(ムーやレムリア、アトランティス)では松果体が大きかった故に、人類の霊性が優位であり、言語は言葉や文字を使わずに、テレパシーでコミュニケーションを取っていたいう説。
世界最古の遺跡ギョベクリテペ(1万2千年前)から発掘された人類最古の人型の彫刻には口が彫られていません。
古代人は、松果体を利用した遠隔によるコミュニケーションが可能だったのでしょうか?


これらテレパシー能力は虫の知らせや阿吽の呼吸、空気を読む日本人に特出して残っているという。
都市伝説界隈では言葉や文字が無かった超古代文明の子孫が縄文人であり、その血を引くのが日本人。とよく云われる。
争いが無く平和だった縄文時代が1万5千年もの長きにわたって続いたのは、テレパシーによって相手の気持ちを汲むことができたからだと云われている。
松果体と古代文明
松果体によく似た松ぼっくりは、神話や宗教信仰のシンボルとして世界各地に残る。
中東では松ぼっくりに似た実をつける巨木レバノン杉(マツ科)が、建築素材として使用されていたと聖書に記されている。


バチカン美術館にある彫刻、ローマ法王の杖、ギリシャ神話のソスという杖、シュメールの神々が手に持つのも松ぼっくり。
故に松果体はスピリチュアルや宗教関連の題材としてしばしば用いられてきました。
古代における松果体の役割
松果体は、紀元前300年頃アレキサンドリアのヘロフィロス(紀元前325-280)とエラシストラトス(紀元前310-250)により発見されたとされる。


その後2世紀にガレノス(西暦130-200)が松果体という名称とその位置を初めて記述したとされる。
古代ギリシア(紀元前5~4世紀)時代、松果体は『思念の世界』と私たちを結ぶ器官であると信じられていました。
デカルト(西暦1596~1650)は松果体を『魂の鎮座』と呼びました。

しかしながら、それよりはるか昔のシュメールや古代エジプト、ギリシア、インダス、どの文明においても松果体を象徴としたシンボルが多数残されています。
また、ギザの大ピラミッド内部構造が人間の脳を表しており、王の間が松果体と位置に該当する。という説もあります。
古代エジプトにおける目
古代エジプトでは全てを見通す目であるホルス神の右目(太陽神ラーの目)は脳内を断面で見たときの松果体を表していると考えられています。

引用元:げんきだまぷらす

つまり松果体を全てを見通す力の象徴として扱っている。すでにこの時代に松果体の機能や意味を理解していた。
右目、ラーの目は『潜在意識や不可視を見通す力』の象徴で、左目、ウジャトの目(蛇)は知恵を意味し『エゴ・自我』つまり理性の象徴である。
興味深いのは潜在意識=右脳(右目)、自我=左脳(左目)の関係性とも整合している点。
左目のウジャトは蛇の姿をしており人間をそそのかし知恵を与えた、エデンの園に登場する蛇と重なる点も。

古代エジプト人は夜目だった?
ところで彼らはピラミッドや王墓、地下墓地などの建設時、どのように視界を確保していたのか。
光量、酸素不足の観点から松明は非現実的である。
しかし壁や天井への装飾を完璧に仕上げている。ここで松果体を重用していた古代エジプト人は夜目だった可能性を検討してみたい。

松果体は光を感知できる機能があると先に述べました。蝙蝠のように暗闇でも空間や物体を感知でしたり、集団を形成できる能力は、周囲の赤外線や電磁波をキャッチしているためだと考えられています。
だとすれば松果体が発達していた古代人は、現代人と比較して、夜目が利いていた可能性はありそうです。

その推論の材料として、古代エジプトでは、オス猫は太陽神ラーの象徴、メス猫は、女神バステトの象徴とされ、猫自体が神とされてきたこと。
オス猫は太陽神ラーの象徴=ラーの目は全てを見通す力がある・・・と関連付けると、古代エジプト人は夜でも目が利く猫の目を全てを見通す力の対象、そのように考えていたのです。
加えてホルスの右目(ラー)が松果体を表していることを考えると・・・やっぱり古代エジプト人の中で、夜目が利く集団がいた。
彼らが完成したピラミッド内部に装飾を加えた凄腕集団だったり・・・だから鮮やかな極彩色なのかも・・・と想像を掻き立てられます。

引用元:VELTRA
事実、古代人と現代人とでは『可視光』の範囲が若干ちがっていたと言う説もあります。これは光を感知する松果体の大きさに由来するかもしれません。現代では幻視と言われる霊障も、彼らには普段の景色として映っていたのかもしれないのです。
古代人の精神構造
このように松果体は古代から認知され、重用されていた。
松果体が機能していたとしたら、当時の人々は集合的無意識で繋がり合う動物のような存在だったのだろうか?
ここに古代人の内観について興味深い仮説がある。
神々の声の象徴
米心理学者ジュリアンジェインズ著『神々の沈黙』によれば、古代人(紀元前1000年以前)は内観する意識を持たず、右脳に響く神々のことばに従って行動していた、という。
これを二分心仮説という。
「遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた」
ジュリアンジェインズ/神々の沈黙
なぜ古代人は右脳優位だったのか?
二分心仮説によれば、この時代の自我は非常に不明瞭で、自己認識が弱く、強制力のある音(ことば)に操られる人形のような存在でした。
二分心の人々は、右脳が引き起こす幻聴、幻覚に導かれるまま行動していた結論づけています。
彼ら(左脳の人間と呼ばれる部分)は右脳に響く神々の声に従い、多くの人間が同期された集団行動を形成していた。という。
→松果体が機能する昆虫や動物の本能的な集団形成に近いと考えられる。
二分心崩壊のきっかけ
この二分心状態の崩壊は、文字の誕生がきっかけだったと云います。
異民族との交易増加によりコミュニケーション、記録、約束が重要視されていく過程で、 文字が単純な記号ではなく、意味を含むツールに変わっていく。
文字が人間の内観(想像力)に影響を与え意識を誕生させる。

精神構造の変化
二分心の人々は右脳優位特有の個人性が消滅した集合体であった。
やがて文字の登場によって左脳が発達することで個人性(アイデンティティ)が発願し右脳優位(受動)→左脳優位(主体)に変化していった。
というジェインズの仮説は、人間の脳の働きが左脳優位になっていくとともに、右脳の機能が相対的に低下したことを意味する。
同時に右脳と関連深い松果体も小さくなっていった。と考えられる。
その結果、人類の内観に抱えていた神々を理性がかき消していくことになる。
神話へと繋がる古代人の解釈
個人性(アイデンティティ)は理性の産物である。
数々の遺跡や痕跡から、彼らは松果体が神々の象徴であることを見抜いていた。
しかしながら左脳優位となるにつれ神々が消える。神の存在が薄れてゆく過程でその理由を考えたはずです。
彼らは松果体の機能が減衰した代わりに人類に理性(知識)が誕生した。
『神々が我々に理性を与えたのだ』と解釈した。(見えていたものが見えなくなった→当時重用されていた松果体が退化したと判断された)
つまり神々が消えたのは理性に成り代わったから。だと正当化しようとした。

冒頭の言葉通り松果体は、人々に知識(文字)を与えたと同時に、その理性によって神々を駆逐した存在でもあると言える。
古代文明の遺跡にそのヒントが残されていた。
壁画に残る謎のシンボル
人類最古の文明シュメールの人々が描き残した神々の集団、アヌンナキは、松ぼっくりのようなものを持つ姿で登場する。
アヌンナキが何かに翳すように持つこの松ぼっくりのようなものが、松果体ではないだろうか。と考察する。

松ぼっくりを翳しているように見えるこの場面は、かごのような物を持ち、摘み取っているように見えないだろうか。
つまりアヌンナキがヒトから松果体を引き抜いている(摘出)場面だと仮定すると面白い仮説が浮かび上がる。

アヌンナキがヒトの脳内の松果体を引き抜いた(減衰)ことで、両脳がブリッジ(結合)し意識が誕生した。これによってヒトが思考する動物へと進化した。と読み取ることができる。
つまり松果体は言語能力(左脳)を封印する役目を果たしていた。
松果体を摘出(減衰)したことで言語能力が開花した。神が人に理性を与えた瞬間を描写したものだと考察する。
神話が意味すること
そんな描写が人類最古の文明に残されている。
では神々は何故このタイミングで人類の松果体を引き抜き、封印していた言語能力を開花させたのだろうか。

その理由は文明興亡の法則『ガイアの法則』と関連してくる。
そして日本人の祖である『縄文人』と深く関係している。
その後編纂された失楽園神話ではヘビが人類に入れ知恵をした。
理性を獲得したことで 想像と創造の苦しみ、これを人類に与えた。という。
ヘビは松果体の象徴なのだろうか。意図は何なのか。 失楽園はヘビを仲介者とした神々と人類の離別の物語だと解釈できる。

ヘビはヒトを自立させ思考し行動し繁栄できるように導いたとも捉えることができるだろう。
蛇とライトワーカー
ヘビはシリウスやプレアデスから移住するためにやってきた龍神の象徴。また彼らは地球を見守る存在ライトワーカーともいわれます。
そんなライトワーカー(ヘビ)が未熟な人類に文字を与え知識を与えた。
理性によって動物はいつか命とは何かを悟る。本当に命を極限まで悟ったのであればその力は地球自身を守る力になる。

それを理解するには、思考力が必要だった。その扉を開けるためのかんぬきが松果体だったのだ。
つまり、人類は地球の守護者として選抜された。
松果体を引き抜かれたことがその何よりの証明だ。
人類の存在証明は地球を守ることだった。
ライトワーカーは人類にそのきっかけを与えたに過ぎない。

『二分心仮説』から考える古代エジプトとピラミッドの謎↓
コメント