日本神話の舞台を曖昧にした意図
崩壊しつつある二元論
最新の物理学、量子論では物質は非観測下、いわゆる揺らぎ状態にある場合、どこにでも存在している状態であるという事が示唆されています。
あらゆる物質(原子や素粒子)は観測されない段階では、在る状態と無い状態が混在した曖昧な状態で存在しています。(有名な実験にシュレーディンガーの猫、二重スリット実験)
近年構築された量子論では、物質は観測した瞬間に在ると無いに区分けされた世界に枝分かれし、この物質主義の世界へ焦点が合う。ことが示唆されました。(多世界解釈といいます)
一般的な感覚だとにわかには認めることが出来ないこの最新の量子論。
それもそのはずで現在の世界の主流は、この世の現象は全て可視、不可視状態から始まる、物質が支配する二元論的考え方。宗教でも見られる西洋的思想に大きく支配されています。
科学が生んだ学問(医療、数学)を基礎として人々の思想、社会システムにも大きく反映されています。
このような西洋人が生み出した(信仰していた)古典力学を信念としていた物理学者はお手上げ。晩年には宗教やスピリチュアルへと傾倒していく始末。
一方で日本を主とした東洋的宗教思想(原始仏教や神道)を持つ東洋人からすると、この曖昧思想こそがこの世界の本質であり、人間が平和で調和した社会を築くためのカギになるとなんとなくわかりますよね。
なぜか?異文化の対立から神々を統一し外に救世主(一神教)を求めた西洋。元事は表裏一体であり、外ではなく内面に神を見出そうとした、つまり人の数だけ神が存在する多神教思想の東洋。
争いが多いのはどちらだったか。歴史を見れば一目瞭然です。
曖昧な日本という国
ここから今回の主題。
二元論は世界を学問、宗教ともに西洋化させました。
西洋が生んだ物理学の亜種のような量子論が登場し研究が壁にぶち当たる現在、各宗教の神話の研究行為がある意味危険な行為になり得るではないかと考えるようになりました。
神話を読み解いてその舞台や謎を解明しようとする研究は、好奇心として知りたいと思うのが自然です。僕も古代の謎(ピラミッドとか)にとても興味があります。
一方で神話の研究は、神が居ないことを証明してしまう行為であるとも言えます。
日本神話の天孫降臨を例に出します。高天原より天孫ニニギノミコトが降り立った場所。その後の物語の舞台はどこなのか。
ある研究者は九州。ある研究者は四国。ある研究者は山陰。研究の数だけ神話の舞台となった土地が存在しています。
これを絞っていくことは、反対に神話の対象地域でない(神がいない)ことを証明してしまう行為であり、その土地から神が消失することを意味します。(一神教ではないですが)
現状ではニニギノミコトが天孫降臨した場所は、研究者、またはそれを信じる人の数だけあり、その数だけ神々が存在しているのです。
つまり絞り込むほどに、神様の数も減っていくのです。
僕はこれらの行為は争いを生んだ西洋的な思想を踏襲しているのではと感じました。
古代の右脳的な言葉に表せない感覚、曖昧なものを言語化して学問として体系化してきた。この時点で当時の人々の感じ方、価値観とは違うものに変わってしまっている。
解明という行為自体が、古代を解明していくうえでのパラドックスになっています。まさに観測すると物質の振る舞いが変わってしまう二重スリット実験の様です。
日本神話や東洋の非言語感覚、曖昧さのおかげで当人が信じれば、日本の北端から南端までどこにでも神々は居るのです。
八百万の神とは、信仰する人の数だけ神様が存在しているということ。
このように表現すると、信じたいもの、見たいものだけを信じることは危険だと思う方もいるでしょう。特に今の時代、SNSの可視化に伴いそれが顕著になってきています。
信じたいものを信じる。という言葉は、よく考えると一神教でも多神教でも適用できることに気づきます。
この言葉自体には何の制限もない。受け取る側によってその意味が変わってくる。危険にも有用にもなり得る。
この考えこそがこの世は写し鏡であるという、東洋的であると気づきます。
それは神様が自分の外側に居るのではなく、内側に居ることを意味します。
一人ひとりが答えを出し、それを信仰する。どこにでも神が宿るという八百万の神、神道的な考え方とは、或る現象を目の当たりにしたあなたの内面から神様が顕現するということなのでしょう。
現在の日本神話の解釈からすると高天原、天孫降臨した場所は実際に在る、無いどちらでも正解です。
日本神話の追及は日本人のルーツ求める探求心であり素晴らしい事だと思います、ただしその答えを声高に強要するのは神道的考え方とは相反する。という事です。
ひいては世界を救うための最も重大なポイントでもあります。
分かりにくさが日本のポテンシャル
文化も思想もグラデーションであり可視化して「有る」「無い」の二元項で区分けできるものではない。
数千年以上続いてきた多神教を破壊されてきた古代文明、日本はそんな思想を継承し文化と人々の坩堝となった国と言っても過言ではありません。まさに世界のトレンドと真逆の国。
日本人が英語が苦手、日本語しか操ることが出来ない理由もこれに起因します。
つまり、日本語は、アルファベットを生んだ人工的な西洋と正反対に位置し、海外からの侵略を免れ、強制的な人間の欲によるものではなく、様々な文化や言語が破壊されずに全くの自然に入り混じって出来上がった。
だからこそマイルド(曖昧)になった訳です。
腸内細菌も善玉だけでは不調を引き起こすことが分かってきました。多様だからこそ肥沃で健康な状態を維持できる。相互にバランスを取って特定の菌が暴走せずマイルドに共生していると。
これを西洋的に善悪で区分けし悪玉細菌やウイルスを消毒や薬で駆逐してしまうからバランスが崩れるそうです。
これって日本人の特徴である同調圧力に似てますよね。同調圧力も良い意味で扱えば・・・協力、和ですよね。
結局は捉え方。意味を外に求めるのではなく、内に求めること。
本当に神が消える日は、日本人が完全に西洋に取り込まれてこれら思想を忘れた時。
世界の歴史を見ていくと、異文化が対立し破壊と塗り替えを繰り返してきました。これにより神々や文字が統合し数が減っていき、体系的になっていくほどに人々は争ってきたように思えます。
グローバル化、ネットワークの可視化、強制される多様性、SDGs・・・現代こそがこの数千年の人類の歴史の負の集大成なのかもしれません。
すべては表裏一体
これまでの物質文明が栄える過程で生まれた様々な問題、本当の平和とは何かという問いの答えそのものが日本という国を生み出したのかもしれません。
近年、物質主義の限界という声が方々から上がるほど、我々日本人が突き動かされる日が近いようにも思います。
なぜなら干ばつが起きるとどこかで水害が起きるように、物事は必ず表裏一体で生じると云われるからです。
ふと思います。いま日本政府は日本人のための政治をしているでしょうか?先の世界大戦から始まり、医療、食、エネルギー、利権、移民、環境・・・世界の失敗、不都合を今、日本が殿(しんがり)となって背負い経験させられているように思えませんか?
実際にこのように感じる人が増えてきている、物質主義が日本という強力な処方箋を生んだとすれば、この問題だらけの世界の治療を行うべく日本からの大きなうねりが反動として控えているのではないでしょうか。
日本が生んだ平和主義的思想(情緒、文化)を当事者である僕たち日本人が忘れてきました。
スピリチュアル界では、日本人は金龍であり、全ての龍族を引っ張っていくボスだそうです。
そんな眠った金龍を目覚めさせるために、あえて日本にストレスを与え始めているようにも思えるのです。
学問や技術とは自分たちが進歩していると錯覚してしまうために、その過程で失ったものに気づきにくいのです。そして気づいたときにはその失ったものが何なのか理解不能になっている。
日本を蝕む世界構造とは▼
機械化で便利になった反面、確実に退化しているものもあります。
これまでの歴史の謎がそれを証明しているように思えます。
逆説的には、今僕たちが当たり前だと思っていることが、とても大切なものである。ということ。
信仰と科学、背反する2つの学問、あなたは人間的な生き方としてどちらを優先しますか?
少なくとも僕たち日本人の根底には科学では証明できない、曖昧で不可視の部分に本質が流れています。
そして量子論と神話が今、繋がり始めています。
それらを見越して、先人たちは日本神話の舞台を特定できないよう編纂したのでしょうか?
いや、僕たち現代の日本人がそのように解釈できなければならないのかもしれません。
それを見出すための材料は、全ての先人の経験と叡智として語り継がれ、すでに揃っているはずなのです。
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